机上のくーろん

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ツイ4新人賞座談会第2回を読んだら美術予備校の講評みたいになってた。

毎日4コマ更新してくれるサイトで好きな漫画もあったのだけど新人賞の第1回がめちゃくちゃ炎上してた、ツイ4。

 

(参考URL) 星海社「ツイ4新人賞座談会」炎上まとめ - NAVER まとめ

 

の、第2回座談会が更新されてて、気になったので読んでみました。

 

sai-zen-sen.jp

 

これ、なんか既視感…。と思い出したのが、美術予備校の講評だった。

 

美術予備校に行ったことのある人は世の中少数派だと思うのだけど、だいたいは、一日中、または数日がかりで絵を描いて、


最終日の午後になったら全員の絵を集めてそれを講師が絵の上手い順に並べ替えて行き、一つ一つの絵を講評していくというものです。

 

高校生ではじめて予備校の講評を体験したのですが、ぶっちゃけ学校の成績とかは貼りだされてもただそれだけで内容についてはいちいちあれこれ言われないけど


絵とか、小学生の頃なんか人に見せるのも恥ずかしいじゃないですか。図工の時間とか、みんな自分の絵とか隠してかいてるレベル。 


そんな恥ずかしがり屋な我々が人前に絵をさらし、それを格付けチェックされて、あーだこーだ公開で言われるわけです。

 

まずそこでだいぶびっくりする。そんな公開晒しなれてないし!


初めて予備校に来た人とかだと、泣いちゃう人とか定番だった。

 

大人になった今でも、人によっては公衆の門前で人と比較されて、あれやこれや意見される、というのは抵抗を感じる人も多いと思うのだけど


小中高の学校の美術の時間とか、ぶっちゃけ最後まで仕上げない人もいるし、みんな描いて、みんな違ってみんないい、みたいな世界で生きてきたのが、


いきなり晒し格付け&批評にさらされるとなるとこれはけっこう怖い。


慣れれば普通だし上達に必要なこととわかるけど、最初は絵も下手だし、毎回講評の時間が憂鬱、という人はいたのではないかと…。

 

そういう経験をしていても1回目の講評はちょっと…、と思うし、もっと一般的な感覚だと、2回目のやつでも人によっては「怖い…」ってガクブルするのでは?って思うから、炎上するのもわかる、って思う。

 

1回目、これはきつい…、っておもう部分も多々あるのけど、それは言われてもしょうがないかな、っていうところもけっこうあって


たとえば、持ち込みは完成原稿で、っていうのとかバクマン。」でも言ってた気がするし、人に見てもらうのに完成してない、というのはダメだと思うので、まじめに作品を評価しようとしているのに、いいかげんな投稿がきたりしたら、多少はひどい言葉が出てもしかたがない、という部分があるのはわかるかも。

 

でもこれ、ネットで公開されて、ひとつのコンテンツになってしまっている、と思うとこの座談会はコンテンツとしては、これ自身がつまらない…。


って思ってしまいました。

色んな所で言われていたけれど、編集者の雑談なら確かに問題ない。


でもこれ、そうじゃなくて公開するコンテンツなので、それだと他人の目を意識するべき、という視点があまりに欠けてると思う。

 

企画が持ち上がった時には、もっと小規模なイメージで内輪の裏話的なコーナーのつもりだったのかもしれないけど、思いのほか見ている人が多かった、とか?

 

どちらにしても、公開することによって宣伝効果も狙っている、利益を考えたコンテンツだとしたら1回目の座談会は面白くなかった。

「炎上」という効果を考えれば大成功だけど。

 

そんで、1回目の座談会、なーんか既視感が…と最初から薄々思ってたんだけど、2回目を見て「美術予備校の講評っぽい」って思ったとき、『これ夏期講習のバイト講師のめたくそ批評だ!』ってわかった。

 

美術予備校の講師って、講師としてその学校に勤めている人と別に、夏期講習や春季・冬季なんかの特別講習で人が増えるときに学生バイトさんが入ってたりする。

 

それが、前年大学に合格した予備校の卒業生が何人か、と言った感じで、プチ同窓会感も出してて、めっちゃ本人たち和気あいあいなんだけど、そうじゃない人にはポカーン、っていうテンションになってる時があって。

 

今ならちょっとそれはどうなのか、お金払ってきてるのに具体的じゃないし「なんかこれやだ」みたいなの言われても困るし、感じ悪いし、言い方キツすぎて泣き出す子もいるし、


絵の良し悪しもそうだけど講師なら「教える」って点をちゃんとしてから講師やってくださいよ…。って思うと思うのだけど


当時はよくわからなかったのでそういうものかと我慢しました。

 

まあ、お金払って習いにいっててもそんな目に合うので、この場合、投稿者はお客様ではない、と考えると、1回目の座談会のようなものでもよかったのかもしれないけど


これは公表されて「コンテンツ」になって、それによる「集客効果」を期待するのなら 、そのコンテンツを見る人(お客様)の視線という、最も大事な観点を忘れてた、っていう話なのかなあ。

 

そう考えると編集部は「この漫画が面白いか面白く無いか」ということは一生懸命考えていたけれど、


「この座談会は面白いか面白く無いか」というところは全然考えてなかった、っていうのはちょっと面白い。 

 

やっぱ「客観的にものを作る」っていうのがそれだけ難しいってことなのだなあ、と。


特に、自分たちで何か作る側にいるときに客観的になるというのはめちゃくちゃ難しいことだなあ、と思った。

 

見ている「読者」のほうも、昔は読者は編集部へ出す手紙くらいしか作家さんに感想をえる方法がなかったけど、


その場合編集が中身をチェックして批判的なものは見せない、という方法でフィルターをかけることができていたものが


いまはネットで作家本人の目になんでも触れてしまうことを思うと、知名度のある場所で作品を発表する場合、第1回の座談会よりもっとひどい適当な意見にさらされる、


と思ったら、これくらいでへこたれるなら連載はつらいですよ、という判断にはなったりするのかも?

 

 たくさんの名無しの無責任な批判にさらされることを思えば、確かに1回目の座談会もやさしく思えるかもしれない。

 

あと、この件と関係しているのか、たまたまタイミングが重なったのか、第1回座談会について掲載中の作家さんがTwitterで批判的な言及をしたことや


その内の何人かの連載中の作家さんの作品が、まるごと削除という件や掲載が休止となったものがあり、そのへんもいい感じに火に油の炎上材料になっていました。

 

第2回の座談会では、編集部が面白いと思った作品を探してくることを「スカウト」、投稿・持ち込み原稿のことを「トライアウト」と例えているのですが、


スカウトにしてもトライアウトにしても魅力のない球団には人が集まりにくい、という問題があるのでそれを考えると第1回の印象はかなりよくないので、これからイメージを変えるのはかなり大変そう…。


炎上して人が集まるのはいいけどその後のことを考えるとあまりよくない…。

 

パソコンのスペック向上とインターネットの普及した今、個人でできる作業と発表の場はどんどん幅が広がっていて、商業利用に耐えるレベルのものをサークルや個人で作っている人がたくさんいる時代、


セレクトショップやらコンシェルジュやらソムリエのように、なんか、かっこよく言い過ぎたのでもういっちょ庶民的な例えを足すと、まとめサイトのように


よいものを発掘して集合させて提供する、ということは、すごく大事な仕事になりそうな気がする。

 

そうなってくると、雑誌掲載しなくても作品は発表できるし、見てくれる人もいるし、本を作ることも、個人でできてしまうのなら


「編集とめんどくさいやりとりや修正するくらいなら個人でやってる方がいい」


と思う人もいるだろうし、その出版社のそのコンテンツに参加して、作品を出すことにどれだけのメリットがあるか、ということが提示できなければ良質のコンテンツを集めることは難しい、ということになるのかなあ。

 

今はまだそういうコンテンツがそこまで多くないけど、これから先そういう形態のコンテンツがもっともっと増えてきたら、作家さんにとってもプラスは大きいのでは?と思うし、


作品を作るのは好きだけどプロモーションや営業は苦手、という人も分業ができるし、そやって目に触れるものが増えれば読む方も面白いものがたくさん読めるのは楽しい。

 

ツイ4も見ているけど、「トーチweb」というWebサイトも更新があるたびちょくちょく読んでいるのだけど、


今までならなかなか見られなかったような作風の漫画がこんな風に見られるのはわたしはとても楽しいのでいろいろな作家さんや作品をを紹介してくれるサイトはもっともっと増えてほしいと思う。

 

Win-Win-Winの作家と編集と読者。

というふうにWeb漫画界隈が育っていくといいなあ、と思う。


なんか、雑誌という媒体が進化する過渡期に居合わせてる気がして、ちょっとわくわくするね。